2014/04/05

雪の国から魚の国へ

食器洗い用のスポンジが魚の形をしている。
「日本人はどこまで魚が好きなんだ!」
彼女は驚く。確かに言われてみればそのとおり。魚の形にする必要などまるでない。そう、我々は魚の国の人たちなのだ。
対してチベット人は魚を食べる習慣はない。肉は大好きだからベジタリアンと言うわけではないのだが、動物の命をとって食べるというとき、気にするのは命の数のようだ。ヤクや羊のような大きな動物は一頭つぶして何人ものおなかを膨らませることができる。それに比べて魚じゃそういうわけにはいかない。シラス丼とかイクラ丼なんてもってのほかである。どれだけの数の命を食べて腹を満たすのか。そう考えるようだ。もっとも魚を食べない理由はそれだけでもなく、水葬も多いチベットでは川に対する不浄感のようなものもあるようだし、単に食べたことがないから気持ち悪いという人も多い。日本に比べて食べるものの種類が圧倒的に少ない人たちだから、食べ物に保守的になるのは想像に難くない。

そんなチベット人である僕の奥さんであるが、彼女はとりあえずなんでも食べてみる。イカの丸ごと一夜干しの姿にびびりながらもとりあえず食べてみる。タコなんか絶対食べないと言っていたけど、目の前にあればとりあえず食べてみる。そのチャレンジ精神たるや恐れ入る。そういやイナゴも食べてたし。そうやっていろいろ食べてみた結果、刺身はかなり気に入ったようだ。ダラムサラにいる友達に生の魚おいしいよなんてことを話しているが、みんな一様に驚いてる。よくそんなもん食べれるなと。食べ物に対する柔軟性。これは初めての場所で暮らすのにもっとも大事なことだろう。彼女はどこでもやっていけそうなのでとりあえず一安心というところか。

日本に来て驚いたことはと訊ねると、一番に出てくるのが若い女のコの服だ。冬なのに生足出して、それでいて上着はモコモコ着込んでいて変だと言う。あの人達は寒くないのか、夏になったらどんな格好するのか、水着だけで歩き回るんじゃないだろうなと彼女は訝る。来たばかりの頃、二人で原宿、表参道辺りを散歩した。僕もほとんど縁のないところなので二人そろってまったくの異邦人である。いちいち通り過ぎる女のコたちの奇抜なファッションに「ほー」と声をあげる僕たち。いやどちらかと言うと彼女は眉をしかめる。ある洋服屋の前でマネキンだと思ってたピンクの髪の娘が急に歩き出して本気で驚く僕たち。ありゃたしかによそから来たらビックリする。
そして日本人の年齢が分からないと言う。若く見えて驚く。僕の祖母の年を聞いて驚く。会ってみてその元気さに驚く。そして結構年取った人たちも元気に働いていてまた驚く。居酒屋のパートのおばちゃんたちに驚く。チベットだったらあれぐらいの人たちはお寺にリンコルいって一日おしゃべりしてるだけだよという。どっちがいいことなのかよくわからないけど、日本はよそより長生きの国であることはたしかなことだ。
もう一つ、日本の生ビールの美味しさに驚いたと言う。インドで星の数程のビールを一緒に飲んだが、その度に日本のビールは美味しいよ、泡がたまらないんだよということをしつこく言ってきた僕にとってはうれしい言葉である。向こうでは泡がなるべく出ないように出ないようにとビールを注ぐのだが、瓶ビールだって美しい泡というのがあるのだよということを分かってもらえたようだ。

東京は桜の季節まっただ中。僕らはつまみと酒を持ってそれらしい場所へと向かう。
日本人にとって桜は春を告げるもっともエキサイティングな花であるということ、あのクレイジーなピンクと一気に散ってしまう儚さがあいまって、日本人は桜の下では正気を保つことは難しいのだということを説明する。お祭り関係には異常に熱心なチベタンスプリットの彼女にとって、桜の木の下の酔客たちを理解することは難しいことでも何でもない。説明するまでもなくすでに彼女の心は臨戦態勢である。
夜桜で乾杯。
酔ってしまえば文化の違いなんてまったくもって小さなこと。彼女がネクタイを頭に巻いてというような典型的な酔っぱらいのオッちゃんみたいになってもまったく驚かないなと思いながら、夜風に舞う桜の花びらをみんなで追っかけてみる。